ヒネくれたアニメ感想やマンガ、レトロゲーム、ロボゲーのレビューなんかをやっていきます 
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レトロゲーム ギャラガ ファミコン版

はい、と言うわけでレトロゲーム、第3回目はファミコン版「ギャラガ」です。
3回目にして正直、若干個人的な思い入れの薄いタイトルが登場です。もちろん、「ギャラガ」は大好きなのですが、このゲームに対して俺独自の考えと言えばいいのか、そういうものを持っていないというのもまた事実です。
タイトルにファミコン版とありますが、俺が主にプレイしたのがファミコン版である、というだけで、言及する内容は「ギャラガ」というゲームそのものについてです。
実は今回は「ギャラクシアン」にするつもりだったのですが、その流れで「ギャラガ」もプレイした時に起きたちょっとした奇跡が…まあまあ、それは後ほど。

ギャラガ

さて、本作が「ギャラクシアン」の正当進化系に当たることは誰の目にも明らかと言えるでしょう。本作がアーケードで登場したのは1981年という事で、同年には「ドンキーコング」や「スクランブル」、「ボスコニアン」等がリリースされている事を考えると、「斬新さ」はあまり見えないタイトルではあります。
しかし、本作は驚異的なロングヒットとなります。俺の記憶が正しければ、「グラディウス」などが登場した1985年頃にもごく普通に稼動していたように思えます。
昨今はレトロゲームというものの地位が向上した事や一部の対戦型ゲームの長寿命化により、数年前のタイトルが稼動していてもまったく不思議はありませんが、次々と意欲的な新作が登場してくる80年代半ばにおいてこれは非常に稀有な事でした。
このロングヒットの一翼を担ったのは女性層であったと言われています。
当時俺は母親と出かけた帰りにゲーセンに寄って数回プレイさせてもらうのがお決まりのパターンでした。都会のゲーセンは結構明るく、筐体も清潔でむしろいつも洗剤のような匂いが漂ってさえいました。それでも女性の姿はほとんど見かけませんでしたが、まれに見る若い女性がゲームをプレイしているとそれは大概「ギャラガ」だったようにさえ思えます。さすがに地元の小さくて暗いゲーセンや駄菓子屋ではそんな場面を見る事はありませんでしたが。

いつの世も女性に人気のあるものは貴重です。カップルがゲーセンに行くのは今でこそ当たり前ですが、当時はなかなか誘いにくい場所であったことは間違いありません。でも、一度でも「ギャラガ」を楽しんでいれば、女の子も「あー、じゃあアレやりたい」という具合に多少は乗り気になる部分もあったのではないでしょうか。

ところで、本作の一体何が女性の心を掴んだのでしょうか?これについてはそれほど検証されていないとは思いますが、俺が考える一つの要因は「爽快感」…つまりストレス解消のツールとして優れていたのではないかと思います。…つまらなすぎる結論だと腰砕けになった方もおられるかも知れませんが、これは案外深い話ではないかと思います。

先に挙げた、本作以外の1981年を代表するゲームはいずれも見るべきところがある優秀なタイトルですが、ゲームに馴染んでいない人がいきなりプレイして面白さを感じる事ができるでしょうか?俺は少し疑問に思います。難易度や操作系の要素もさることながら、うまくならないと面白くない、あるいはうまくなる過程そのものの面白さの方が重要視されている(当時のゲームは基本的にそうですが)ためです。
すこし歴史を戻して、「ギャラクシアン」についても考えてみましょう。確かに「ギャラクシアン」は、「ドンキーコング」や「ボスコニアン」と比較すると単純明快で、誰でもすぐに内容を理解できるとは思います。しかしながら、自機のビームは単発で、画面上に一発しか存在できません。つまり、闇雲にビームを発射してもなかなか当たらない上、敵の突進に対応できずすぐにやられてしまうのがオチです。
しかし「ギャラガ」は違います。二連射…たった二連射ですが、この違いは圧倒的です。適当に撃ちまくってもバシバシと命中し、敵は小気味よい音を立てながら美しい花火の如く飛散します。敵が編隊を組む最中に攻撃しまくって、後の展開を楽にすることも出来ます。おまけに少し上達すればデュアルファイターがあります。低次面におけるデュアルファイターの強さは鬼神の如きで、それこそ編隊を組む前に殲滅することさえ可能です。こう言った「プリミティブな快楽の魅力」は思えばそれまでのゲームにはなかった概念かもしれません。
先にも少し書きましたが、当時のゲームは「上手くなること自体」が主たる面白みであったのです。大げさに言うと「苦行」です。しかしながら多くの女性はわざわざお金を払って、ゲームがうまくなってなんの得があるの?と考えたはずです。ごもっともです。ところが「ギャラガ」だけはちょっと違っていました。当時は今よりも遥かに女性が抑圧されていた時代でした。女性がストレスを解消する方法は極めて少なかったのです。「ギャラガ」はそれをがっちりと受け止めた、とまではいかなかったでしょうが、その爽快感を知った女性たちのささやかなストレス解消になっていたのだろうな、と俺は思うのです。

ゲームの魅力のひとつに「爽快感」が挙げられるようになってもう久しいですが、そういう流れを女性がいち早く掴んでいたのか、それとも男性の感性が知らず知らず女性的なものに歩み寄っている部分があるのか…それを考えるのは、俺の役割ではなさそうです。

ちなみに、「ギャラガ」が女性に人気があったというのは定説ですが、その原因について今回俺が書いた事がオリジナルの考えなのか、どこかでちょっとそんな意見を目にしたのに共感して、自分の意見だと錯覚しているのか、いまひとつ確信が持てません。その点はご了承くださいませ。


…さて、ここまでは本作の歴史的意義(?)について語りましたが、ゲーム内容についても少しだけ触れましょう。
上にも書いた通り、本作が「ギャラクシアン」の正当進化系である事に疑いの余地はありません。しかしながら、そのゲーム性は相当変化しています。「ギャラクシアン」が狙い澄ました乾坤一擲の一撃を加える快感であるのに対し、本作は火力でガンガン押していく快感です。もちろん、本作も狙い撃ちをするシチュエーションはありますし、高次面においては敢えてデュアルファイターにならない、等の戦術をとるような場面も出てきます。しかし、そういった部分は本作の魅力の「ど真ん中」ではないと、俺は思います。もちろん、敷居は低く、突き詰めるとその壁は高い、というのは良いゲームの要素のひとつですが、本作はそれを十二分に感じる事ができるのは間違いありません。

チャレンジングステージの直前の面は難易度が下がるといったバランス調整も心憎かったですね。このあたりのセンスに当時のナムコのキレっぷりを感じます。

チャレンジングステージは、次はどんなギャラガが出てくるのか、という楽しみもありました。ゲームの性質上単調になりがちですが、ひとつのモチベーションにもなっていました。ステージを示す階級証(?)もそうですね。

BGMは当時らしく多くはありませんが、いずれも非常に印象的です。どの曲も短いですが、なんと言うか…宇宙を感じましたね!!いやほんとに。


…というわけで、案外長々と語ってしまって自分でもちょっとビックリです。まったくの余談ですが、ウチの母は俺が「ギャプラス」をプレイしてる時の「トラクタービーム」を見て「あれ面白そうやな~、カゴみたいなんでシュシュシュと捕まえるやつ」などとよく申しておりました。案外女性に人気があったのはトラクタービームに原因があったの…かもw


あ、冒頭に書いた奇跡、ですか?

ギャラガ765

パッとプレイしてみて、命中率が「76.5(ナムコ)%」!!!!!
これってすごくね?wwwww








失礼しましたw
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Category | レトロゲーム FC
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レトロゲーム FC ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島

レトロゲームについて、第2回目はファミコンディスクシステムで登場した、「ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島」」です。
その名が示すように、様々な昔話を引用したイベントが起こるアドベンチャーゲームです。ディスク2枚組み(前編の2週間ほど後に後編が発売されたと思います。)で発表されたのも特徴のひとつと言えます。
俺と同世代のゲーマーにとっては非常にメジャーなタイトルですが、今回の話は前回のエリパチ以上にマニアックになってしまいそうです…。
本作の主人公名はプレイヤーがつけることが出来ますが、一応「どんべ」と「ひかり」という公式の名前も存在します。しかしこのエントリでは「男の子」と「女の子」に統一させて頂きます。

onigashima.jpg


俺は当時このゲームに随分入れ込んでいて、クリア後に任天堂に感動した旨をつづった手紙を送ったりもしました。別に何も反応はありませんでしたが…。
また、その後任天堂でバイトしてた時にかの宮本茂さんと一度だけお会いできたのですが、その際思わず「鬼ヶ島の続編作ってください!!」などと口走ってしまったほどです。宮本さんは俺へのサインを書きながら「結構言われるんだよ~」と苦笑してらっしゃいました。ちなみに宮本さんのこのゲームへの関わりはスタッフロールによると「監修」となっております(笑)
実際その後、「平成 新・鬼ヶ島」という続編的作品も発売されますが、さすがに俺の一言がきっかけになったわけではないでしょうね…。


さて、この作品は任天堂初のテキストアドベンチャーであったとの事ですが、そんな事を微塵も感じさせない驚異的な完成度を誇っています。

本作を「ゲーム」として優れたものにした最大の功労者のひとつが「ひとかえる」というひとつのコマンドです。情緒的な面で極めて優秀な本作ですが、今回は敢えてここにスポットを当てて語って行きたいと思います。

アドベンチャーゲームは、他と比べて「ゲーム性」を持たせる事が非常に難しいジャンルです。そのため当時のパソコンのアドベンチャーゲームの多くはグラフィック、サウンドやシナリオに力を入れ、「映画的」などとうたっていました(まだ、いわゆる「ノベルゲーム」は「ほぼ」皆無でした)。また、ミニゲームでごまかす手法は使い勝手がいいのか、今もよく見受けられます。
そんな中、任天堂が本作で用意したのが「ひとかえる」コマンド、今は「ザッピングシステム」などと呼ばれますが、要はプレイヤーキャラを途中で変更するというものです。本作ではこの「ひとかえる」で、主人公の「男の子」と「女の子」の二人を切り替えて進めていきます。
このシステムそのものはハッキリ言って、「つければ面白くなる」というものでは決してありません。ただめんどくさいだけだったり、そもそも意味さえないような事もよくある気がします。

実際のところ、本作における「ひとかえる」が他のザッピングシステムより特別優れているかというと別にそうでもありません(それでも水準以上だとは思いますが)。しかしながら、本作に「ひとかえる」がなければおそらく、後にも長く語られる名作にはなりえなかったのではないかとさえ思います。

「ひとかえる」の効果の一つ目は、「ゲームやってる感」の向上です。アドベンチャーゲームというものは「コマンド総当り」という手法が誰にでもすぐに思いつく事もあり、アクションやシューティングはもちろん、RPGなどよりも「プレイヤーがゲームに関与している」という感覚が乏しいものです。しかし、「ひとかえる」コマンドは、他のコマンドに比べて遥かに意識的に選択する事が多いはずです。
単純な例を挙げると、「女の子」で実行したコマンドの結果が、「女の子には無理なようです」だとすると、大概の人はすぐに「ひとかえる」を実行して、「男の子」で再度挑戦するのではないでしょうか。
これはこのコマンドが存在する主たる理由ではないですが、プレイ感全体を省みると案外重要なファクターだったのではないかと思います。

「ひとかえる」の効果の二つ目は、主人公二人のキャラクター性を際立たせるツールとして役立った、という事です。
若干バカであぶなっかしいけど、とても素直でいざという時には頼りになる「男の子」と、ちょっとわがままで口うるさいところもあるけど女の子らしい可愛らしさと芯の強さを持つ「女の子」…このごく普通のキャラクター性が印象深くなるのは、短所は短所としてハッキリとゲームの進行の妨げになるからです。男の子が出来なければ女の子が、女の子が苦手な事は男の子が…しょうがないなあ、と思いつつ、「ひとかえる」を繰り返すということはまさに二人が足りないところを補って一生懸命難題を乗り越えていくのを目の当たりにする、という事なのです。
出来の悪い子ほどかわいい、と言えばちょっと言葉はきついかも知れませんが、何をするにも一筋縄でいかない二人の姿に、プレイヤーはどんどん感情移入してしまうのです。
このゲームを好きだと言う人の大半は、二人の主人公の事が大好きなのではないでしょうか。

「ひとかえる」の効果の三つ目は、「最短クリア手順をぼかす事に成功している」という点です。…これはちょっと詳しく説明しないといけないですね。
本作も当時のアドベンチャーゲームのご多分に漏れず、コマンドひとつ間違っただけでゲームオーバーになってしまうケースが少なくありません。ゲームオーバーになった場合、「せーぶしたところから」か「このしょうのはじめから」の二択なので、セーブせずに進めていると結構戻されてしまう場合もあります。となると、当然もう一度同じ事を繰り返さなければならず、それなりに苦痛なのですが、二度目には意外と最短手順が少ない事に気付くはずです。これによって、ストレスレスとまでは行かないまでも、予想よりも早くリカバリーできる事になります。
もちろん、最短手順が少ない事自体がが美点という事ではありません。最短手順が少ないと当然プレイ時間は短くなりますし、プレイ感もあっさりしたものになります。しかし本作はそれを感じさせません。
一方のキャラでコマンド総当りとまでは行かなくてもだいたい一通りの事をしても上手くいかなければ、「ひとかえる」でキャラを変え、再び一通りのコマンドを試してみる…だいたいこれがこのゲームの基本スタイルになると思うのですが、最適なタイミングで「ひとかえる」を使用すると、実は非常にスムーズにゲームを進めることができるように作られているのです。この「ひとかえる」を使うべきタイミングと回数の設定が実に巧みで、まさに職人芸といっても過言ではないでしょう。
そして二つ目の効果と関連しますが、主人公二人のそれぞれのリアクションを見たいがために、ついつい両方で全コマンドを試したくなる、というのもあります。「ひとかえる」がなければ、一度のコマンドで二人のリアクションが一度に流れると思うのですが、そうなると印象そのものも違っていたのではないかなと思います。


少し脱線しますが、ゲームオーバー後に一定の場所まで戻されてしまう、というのは基本的はかなり辛い事です。何度も繰り返すとなおさらです。しかしながらそういった「ペナルティ」があるからこそ、ゲームオーバーになった場所まで再挑戦する際に極力効率よく進む方法を試行錯誤するのです。これは結構クリエイティビティな行為ではないかと思うのです。ゲームはプレイの仕方によっては単なる時間つぶしとプリミティブな快楽を得るための道具としか機能しませんが、少なくとも昔のゲームは普通に真面目に取り組むだけでなかなかどうして色んなスキルを磨けたのではないかな、と今になって思います。もっとも、今はそういう気力が減退していますが…。


…というわけで結構長く語ってきましたが、要は「ザッピングシステム」が「ついてないよりはマシ」とか「これならなくていいよ」みたいなものが少なくない中、ゲームそのものの面白さにも、キャラクター性にも寄与した、という点を高く評価したいわけです。ゲーム全体の評価とは別にね。


さて、システム的な部分を中心に語ってきました。情緒的な面においては俺以外にも多く語られている方がおられると思いますので、ここでは極私的な事を書く事にします。
以下は若干ネタバレと言うか、なんらかの「予想」を喚起させる部分もあるかと思いますので、未プレイで興味を持って頂いた方はプレイする時のためにお読みにならない方がよいかもしれません。


このゲームのキャラクターたちはみんな魅力的で、印象深いのですが、やはりなんと言っても主人公たち二人がいとおしくてなりません。
俺は中学2年生の時に本作をプレイしたのですが、このゲームをクリアした時、たまらなく切ない気持ちになり、それをしばらく引きずる事になりました。
これには好きなゲームが終わってしまった時の喪失感が含まれていると思うのですが、それとは別に、「男の子」が「女の子」に対して抱いていた、「恋」と呼べるまでにも育たない内に消えていった、淡い淡い想いへの感傷だったかと思います。
主人公二人の関係は「きょうだい」と呼ぶのが一番しっくり来るのかも知れません。でも、「女の子」が自らの宿命に気付き、「男の子」もまた自分になんらかの使命があると知らされたその頃から、二人の間には少し、違う空気が流れていたのではないでしょうか。
ゲームの中で、「男の子」が「女の子」を特別に意識している描写は全くありません。ですからこれはむしろ俺自身が自己を「男の子」に投影していて、「女の子」に恋をしていた(相手は弱冠8歳ですが…)事による錯覚なのかも知れません。いや、それもまた事実であったでしょう。しかしながら、少なくとも俺がプレイした「新 鬼ヶ島」における「男の子」は、「女の子」に対して、もしかしたらそんな言葉も知らないかも知れない「初恋」をしかけていたと断言できます。

本作のエンディングは、昨今のゲームの常識からするといわゆる「トゥルーエンド」とは呼べないようなものかも知れません。今の若いプレイヤーだと、何か違う終わり方があるのでは?とあわててネットで攻略サイトを検索するかも知れませんね。でも、このゲームのエンディングはひとつです。ただし、その意味合いや感じる余韻はプレイヤーごとに少しずつ、でも確実に違っているはずです。

また少し脱線します。
「トゥルーエンド」は「ベスト」なエンディングの意味で使われ、逆に言うと、主要キャラが死んだり、「真の敵」みたいなものを倒せないで終わったりすると、「トゥルー」ではないエンディング、という事になります。
マルチエンディングが当たり前になってからは、絵に描いたような大団円のエンディングこそが「トゥルー」であるというような風潮があるように思えます。しかしこれは物語作りの上で根本的に間違っていると俺は考えます。プレイヤーに媚び売るようなマネはみっともないです。願わくば、自分たちの思う「ベスト」なエンディングをぶつけてきて欲しいと思います。

閑話休題。
エンディングテーマの物悲しさもまた切なさををより高めます。でも、だからこそ本当に心に深く残る、ステキな作品になったと思います。後日談的な意味での安直な続編がない事もまた、本作の美点と言えるでしょう。

エンディングテーマの話が出たので触れておきますが、本作の素晴らしい点のひとつにBGMの良さがあります。いずれも日本的なメロディを持っており、ごく自然に郷愁を誘います。掛け値なしに名曲ぞろいですが、個人的には第四章のメインとなる曲はゲームミュージック史上においても屈指のものであると思います。


想像していたよりも遥かに長いエントリとなってしまいましたが、いよいよおしまいです。お付き合い頂いた方には心より感謝いたします。ありがとうございました。

もし、未プレイの方がおられましたら、俺がダラダラ述べている事など全て忘れて(いや、ホントに)、ぜひとも子ども時の気持ちに戻ってプレイしてみてください。さもないと…アタマをやわらかくしてプレイしないと、思いのほか苦戦する事間違いナシですよ。「理不尽だ!!」などと目くじら立てずにね!!(ぶっちゃけ多いですけどね、そういう場面…)

現在もっともプレイしやすいのはWiiのバーチャルコンソールですね(若干テキストに修正が加わっているようですが問題ありません)。GBA版も中古であるならば容易に入手できるかと思います。

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(2004/08/10)
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誰にとってもどこか懐かしい日本がこの中にあります。子どもの気持ちになってプレイしてみてください。そうすれば大人の理屈で割り切れない「理不尽」な謎もきっと解ける…はず
和風アドベンチャーゲーム屈指の名作。
 
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Author:マスター栄者
ますたあえいじゃと申します
理解の範疇を超えるような作品が好きです

 
 
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